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江戸尾張藩士、海部荘平、正秀の地鶏と清国(中国)のバフコーチンから誕生した「海部種」が広く全国で飼われ、「名古屋コーチン」と呼ばれるようになりました。
さんわグループの創始者である伊藤和四五郎は、文久3年(1863年)2月13日 尾張東春日井郡小牧村に誕生、37歳にて飼料業として伊藤和四五郎商店(現日本農産工業)を創業する。
養鶏の先覚である愛知の五味氏、海部氏と養鶏の実利化を唱え、一般養鶏業者に飼料の配合方法について指導を行ってきました。
後に業界初の完全配合飼料の基礎を築き、配合飼料の製造に着手。
その後、昭和8年愛知県知多郡大高町(現名古屋市緑区大高町)に四万坪の広大な敷地に三和農場を建設し、養鶏事業を開始。
名古屋コーチンをはじめ、八万羽を育成する当時としては、東洋一の規模を誇るまでに発展いたしました。
この業績は、昭和初期のそれまでの家内労働的武士養鶏を、日本の近代的な養鶏産業としての礎となりました。 |
「伊藤和四五郎傳」
昭和13年8月15日発行
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| 著者 |
足立 松陽 |
| 題字 |
鷲尾 順敬(東京帝大史科編算官 文学博士) |
| 装幀 |
武者小路 寛篤 |
| 出版社 |
合資会社 育成社 |
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東京都神田区錦三丁目 21番地 |
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多くの名古屋生まれのお年寄りから「やっぱり、名古屋コーチンはうみゃ〜、一度食べたらほかのカシワは食えんわ〜〜」という言葉を幾度となく耳にしてきました。
しかし、昭和30年代後半に外国から卵用種(白色レグホーン)と肉用種(ブロイラー)の各専用種が導入されたことで飼育数が激減しましたが、近年「美味しい地鶏」を求める消費者のニーズが高まり、名古屋コーチンの需要が年々増してきております。 |
純鶏名古屋コーチンの歴史は、さんわグループの歴史そのものなのです。 |
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