さんわの歴史、それは名古屋コーチンとともに歩んできた道

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伊藤和四五郎の功績 ACHIEVEMENT

観世音信仰を通じた社会貢献 CONTRIBUTION TO SOCIETY

創業者 伊藤和四五郎

大正9年(1920年)伊藤和四五郎は、実業を長男憲一に譲り、57歳で隠居。幼年期からの観世音信仰により、隠居後は、より一層深く信仰生活を送り、後に出家得度する。四国八十八ヶ所第六十二番札所山門造営を始め、全国各地の社寺、仏閣への多額の寄進、お布施を行いました。中でも昭和2年(1927年)64歳でかねてからの念願であった世界一の木像十一面大観世音立像の建立を開始しました。

日本近代養鶏産業の基礎を築いた
創業者 伊藤和四五郎

  • 1931 昭和6年

    世界一の木像 "十一面観世音立像" 完成大観世音菩薩 大開眼供養開催

    昭和6年(1931年)9月24日、世界一の木像による十一面観世音立像の完成、同年、大開眼供養開催。

    • 門井 耕雲 仏師(左側)と伊藤和四五郎(右) 門井 耕雲 仏師(左側)と
      伊藤和四五郎(右)
    • 大観世音菩薩大開眼供養開催< 大観世音菩薩大開眼供養開催
    仏師
    門井 耕雲作
    木像
    三丈三尺 約10m
    アトリエ
    覚王山(名古屋市千種区)日暹(にっせん)寺東方山腹の福寿(ふくじゅ)山大龍寺の門前
  • 1935 昭和10年

    東山観音着工
大観世音安置奉讃会 開催

    昭和10年(1935年)1月大観世音安置奉讃会開催。東郊田代町唐山区内(現名古屋市千種区唐山、東山)に約1万坪を買収し、大本山総持(そうもつ)寺直末寺の護国山瑞雲(ずいうん)寺を移し、観音一大聖地建設着工。昭和13年(1938年)大観世音奉安所、書院、庫裡完成。六角堂、願主堂の建設に入る。その後、奉安本殿、山門諸堂、忠霊堂、位牌堂の建設計画があった。しかし、支那事変に端を発する国際情勢により、その後この事業は、計画半ばとなる。

    東山観音着工

    昭和10年頃の東郊田代町地区(現名古屋市千種区付近)の絵図
    中心の東山動物園の左側に大観音の絵が描かれています。((株)水野本社 所有の絵図より)

  • 1941 昭和16年

    十一面観世音立像 南京へ

    昭和16年(1941年)3月、南京日中友好として日本軍、中国軍、南京市民慰霊のため、南京市(毘慮寺 びるじ)へ十一面観世音立像を寄贈。そのお礼として、毘盧寺境内に伊藤和四五郎木像制作安置。しかし、その後の中国文化革命の時、この観音様を含め、多くの仏像が紅衛兵によって破壊されました。

    千手観音 名古屋へ

    千手観音 名古屋へ

    昭和16年(1941年)5月、十一面観世音立像の返礼として、南京市毘盧寺(びるじ)の千手観音(約3.5m)が名古屋へ贈られた。写真は、現在の平和堂内の千手観音(右)と製作当時の十一面観音12分1模型(左)

  • 1943 昭和18年

    伊藤和四五郎 没

    昭和18年(1943年)6月27日。現名古屋市昭和区寶田(ほうでん)町にてその生涯を終える。享年80歳。

    「伊藤和四五郎」の座像

    その後も和四五郎の意志は受け継がれていく。

  • 1964 昭和39年

    平和堂完成

    昭和39年(1964年)3月、市民の戦災復興事業の一貫として、名古屋市千種区の平和公園内に平和堂完成。名古屋市東区建中寺に仮安置の千手観音を平和堂本尊として安置。現在に至る。

    平和堂

  • 現在

    社会への想い

    人間にとって大切な食に携わるからこそ、かけがえのないいのちを扱う私たちだからこそ、すべての事象に感謝の気持ちを忘れない。そんな創業者の想いを大切に受け継ぎ、社会全体の利益へ寄与できる、世界にもっともっと多くの笑顔を広められる、そんな企業でありたいと考えます。